2008年04月02日

ひとりごと

何も無い空間はありえない。

何も無いことがあるのだから。

知識や思考力があれば、無は完成しない。

もし知識や思考力がなかったとしても、無は完成しない。

知識や思考力がなければ無かは分からないから。

いや、、、。

知識や思考力が無ければ無が分からないと言えば少し違うかもしれない。

知識や思考力が無いところが無だったと仮定しよう。

無をつかむのは当然、知識や思考力。

でもつかめることができたならそこになにかあるのだ。

いや、何もつかめなかったら無なのか?

違う、有であってもつかめないものもある。

いや、違う。

有であればそれなりの雰囲気がつかめるはずだ。

これで分かった。知識や思考力が無ければ無かは分からないのか。

けれど、無か有を判断しようと、知識や思考力が足を踏み入れば

知識や思考力が有になってしまう。

じゃあ無はなんだ?

これだけ考えても表せない。

表せない? 本当はあるのだ。 なのに表せない。

もしかしたら言葉のせいかもしれない。

でもその言葉のせいにしようとしても、どうしてもできない。

ここで僕の思いを聴いてくれている人は、全て言葉で聴いているのだ。

じゃあどうして伝える?

喋ろうったて言葉。 

人と人とが通じ合うにはなんらかの媒体が必要なのか。

その媒体が表現に制限を加える。

そう思うと、なんでも不確かだ。

確かなことは自分で、何も通さずに直接触れ合ったものの情報だけ。

じゃあ身の回りはほとんど不確かじゃないか?

でも、そうに決まっているのかもしれない。

不確かなものを求めるのが有の使命なのだ。

でもみな、求めるまま死を迎える。

人の魂はあろうはずない有無を永遠に求めてゆくのか。

今、僕は求めている。求めざるをえなくなっている。

何故?

人だから。



Posted by フロインドリーブ at 21:23│Comments(0)
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