2007年11月20日

誰も読んじゃくれないだろうな。

発展と安定は、喩え共立できても互助し得ない、水と油です。
 資本主義は発展のカルト。安定を食らい飽きない肉食獣。
 蹴落とし合い、格差を作り、スラムと犯罪を生み出します。

 しかも。
 恐ろしいことに資本主義は、政情を超える鉄杖を与えられています。
 行政は富裕層に効果的に頼る税制を、持っていません。
 これは政界の、資本主義経済に対する屈服です。
 所謂、『金さえあれば』的な世界。
 軍部暴走によるシビリアンコントロールという発想は生まれましたが、黄金の野獣に対する頚木は未だ。
 何故なら、現在地球上が総てそれら獣の闊歩する原野だからです。
 食らい、闘い、増長して己が身を満たさなければ、噛殺される。

 しかし。
 その内一つの歯牙が度を越えようとしています。
 医療。
 その始まりは、外科、そして内科、つまり、戦傷治療と、流行性感冒対策です。富国強兵の指向です。
 ですが、微に入り細に入り、発展を究めるにつれて、本来目標を逸れかねない事態に陥りました。
 人が生き過ぎてしまったのです。
 そして、誰を生かし誰を殺すか、国家標榜とも相俟って、適用対象を絞り込めないままそれは暴走を続けています。

 未来は見えています。
 それが齎すのは、資源の枯渇と、叛乱の兆候。
 先進国化が皮肉にも、発展途上国的な人口爆発を招き、資源の搾取は加速を窮めます。
 餓えた人が集えば、波となりうねりとなり、蝗の群れのように豊穣を根こそぎ食らっていくでしょう。

 しかも、不幸なことに、中間期に訪れる、不可就労者割合の増大。
 経済的弱者は、罪無き餌食です。

 社会は、世界は、人は、正気を保てるでしょうか?

 幾つの禍が起きた後でしょうか。
 転機は訪れざるを得なくなります。
 様々なものが破壊され、刷新を余儀なくされます。
 コモンセンス、コンセンサス、法理念、法体系、主義思想、国体、人権。

 いや。
 そもそも正気とは何なのでしょう?

 それでも。
 血路を辿って行き着いた先はやはり原野です。
 以前と何ら変わりない、食い争いの惑星。
 いえ、残されるのは荒野でしょう。
 踏み荒らされ、こそぎ獲られた痩せ野原。

 掲げられた耳障りの好い、『人道主義』という、旗に描かれたモチ。
 それすら極論であり、行き過ぎは破滅を呼ぶことを忘れてはいけません。
 人口限界は資源の限界です。
 資源とはオイルだけではなく、農耕地、牧草地、採集地、鉱脈、水脈、酸素源、そして時間や労働力をも指します。
 医療と生存保証が打ち捨てられないのならば、資源搾取を如何に制限し、それを回復させ、そして効率化を図っていかなければなりません。
 無作為な資源の散逸の涯てに、人間を生かすそれが枯渇し、高度社会にありながらも餓死や困窮、さらに低次元な奪い合いに蹴落とし合いを繰り返す、そんな闇黒の未来を招いてはなりません。

 築くべき世界。
 それは、資源の採取制限・回復・効率化・開拓。
 現状に甘んじて奪い合いを繰り広げている場合ではないのです。それは、未来ではなく現在に、資源の搾取を許していることの証明でしかないのですから。
 そんな社会の未来に光など差しません。
 食料、エネルギー、水、酸素などライフラインの確保。そして労働力の効率化と生産。それによる新規資源の開拓。
 そうした好い循環を造っていかなければ、もう、人間が甘えることの出来る既存資源は僅かなのです。
 労働力搾取の誤魔化しである雇用形態の悪劣化(バイトでは長期就労が覚束ない=生産性に欠ける)、サービス形態のお為ごかし(微々たる変化、被る皮換え)は、目先の小銭しか稼げません。国単位での算盤勘定をするならば、取り締まりすらするべき無駄な労働です。現に、NEETに見破られているではないですか。それらが無為なことだということが。

 安定に絆され、発展を恐れる、飽和した先進各国。
 平和ではありません。平和などありません。
 あるのは安逸と緩やかな堕落、ジリ貧の暗い未来。
 誰もが感覚的にわかっているはずです。
 そこから抜け出すことこそが、真の覇道、新の王道の始点だと。

 新しい世代に残すべきは、過去ではありません。
 それは、豊かな可能性であるべきなのです。


Posted by フロインドリーブ at 18:38│Comments(0)
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